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誰かに何かを伝えるための文章は、書いた内容を相手が理解出来てこそ意味があります。読み手に「読みにくい」「意味がわからない」と思われないように、何を意識してわかりやすい文章を作るかが重要です。 長い文章を読むのは大変です。文は出来るだけ短く、主語と述語を近づけると分かりやすくなります。文の長さについては、厳密な決まりはありません。文章の内容次第です。多くの場合、文章は60文字以内に収めるとよいでしょう。 また、「が」で結ばれた長い文章は読みにくくなってしまいます。「が、」を見たら、間に句読点を入れたほうがいいかもしれません。これを専門用語では、冗長表現といいます。 冗長表現は、このほか「という」「こと」「することが出来る」とかがありま...
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E8%A1%A8%E7%8F%BE/%E3%82%8F%E3%81%8B%E3%82%8A%E3%82%84%E3%81%99%E3%81%84%E6%96%87%E3%82%92%E6%9B%B8%E3%81%8F
言いたい内容を書きます。書かれたものを読めば、自分の言いたい内容が理解出来ます。これが、誰かと話すために書く時の基本です。ここでは、絵や写真を使って、相手に伝わるように書く練習をしてみましょう。 重要な部分を省かずに文章を書く場合、読み手の立場に立って、確実に伝えたい内容を書きましょう。 説明する順番を考えるのも大切です。説明する時は、以下のルールに気をつけましょう。 部分→全体(詳細)→抽象的→現実 形について話すのに、「円」や「四角」といった名前を使ったり、それらがどのように組み合わされているかを説明したりする必要はありません。また、比喩を使うのも良いでしょう。「ソフトクリームのような」「鉛筆のような」などがその例です。 この方...
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E8%A1%A8%E7%8F%BE/%E7%B5%B5%E3%82%84%E5%86%99%E7%9C%9F%E3%82%92%E8%A6%8B%E3%81%A6%E6%9B%B8%E3%81%8F
何を思い、何を感じ、何を好み、何を好まないのかを記入するのは感想です。賛成なのか反対なのか、問いかけに対してどのように答えるのかなど、理由がはっきりすれば意見となります。 小論文を書く時、自分の意見を上手く伝えなければなりません。 ★構成メモ
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『土佐日記』(とさにっき)とは、紀貫之(きの つらゆき)によって平安時代に書かれた日記。 この時代、平仮名(ひらがな)や万葉仮名などの仮名(かな)は女が使うものとされていたが、作者の紀貫之は男だが、女のふりをして『土佐日記』を書いた。 日記の内容は私的な感想などであり、べつに公的な報告・記録などでは無い。 『土佐日記』は日本初の仮名文日記である。 紀貫之は公務で、土佐(とさ、現在の高知県)に 地方官として、国司(こくし)として 赴任(ふにん)しており、土佐守(とさのかみ)としての仕事をしていた。その任が終わり、その帰り道での旅の、五十五日間の日記である。 この時代の公文書などは漢文で書かれており、男も漢文を使うものとされていた。そし...
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鎌倉時代の作品。成立年は、おそらく1212年~1221年ごろと思われている。作者は不明。 仏教の説話が多い。芸能や盗賊の説話もある。この作品での仏教のようすは、鎌倉時代の仏教が元になっている。 昔、比叡山に、一人の児がいた。僧たちが、ぼた餅(ぼたもち)を作っていたので、児はうれしいが、寝ずに待っているのを みっともないと思い、児は寝たふりをして待っていたところ、ぼた餅が出来上がった。 僧が児を起こそうと声をかけてくれたが、児は思ったのは、一回の呼びかけで起きるのも、あたかも寝たふりを児がしていたかのようで、みっともないだろうと思った。なので、児が思ったのは、もう一度だけ、僧が声をかけてくれたら起きようかと思っていたら、僧たちは児が完...
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伊勢物語とは、 歌物語(うたものがたり)。作者不詳。平安時代に成立だが、くわしい成立年は不詳。主人公は、在原業平(ありわらの なりひら)らしい人物であり、伊勢物語全体として業平の一代記のような構成になっている。業平は皇族出身なので、高貴な出自だが、いろんな女性に手をだしすぎて、評判が悪くなり、都にいづらくなり、地方にくだっていった。業平は、今で言うところの、いわゆるプレイボーイである。 伊勢物語の全体として、恋愛にちなんだ話が多い。 伊勢物語の段数は約百二十五段からなり、和歌を約二百首ふくむ。各章段が和歌を中心とした、独立した短い物語になっている。 『古今和歌集』の成立(905年)の以前に『伊勢物語』の原型は成立したが、『古今和歌集...
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小式部内侍(こしきぶのないし)は女性貴族で、歌人。 小式部内侍の母親は、和泉式部(いずみしきぶ)。和泉式部は、この時代のとても有名な歌人。 この作品で描かれる場面まで、小式部内侍は代作を疑われていた。母親の和泉式部に和歌を作ってもらっているのでは、と疑われていた。 その疑惑のことで、定頼中納言(さだよりのちゅうなごん)にからかわれたので、小式部内侍は即興で和歌を作った。 その和歌が、 である。 大江山とか「いくの」(生野)は、母親のいる丹後の国に関わる地名。 「大江山・・・」の和歌を詠んだ人物は小式部内侍(こしきぶのないし)である。本作品には歌人が多く出てくるので、読者は間違えないようにしよう。 さて、和歌を詠まれた相手は、べつの和...
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今は昔、阿蘇のなにがしといふ史(さくわん)ありけり。たけ短(ひき)なりけれども、魂はいみじき盗人にてぞありける。家は西の京にありければ、公事(くじ)ありて内(うち)に参りて、夜ふけて家に帰りけるに、東(ひむがし)の中の御門(mかど)より出でて車に乗りて、大宮下り(おほみやくだり)にやらせて行きけるに、着たる装束(さうぞく)を皆解きて、片端より皆たたみて、車の畳の下にうるはしく置きて、その上に畳を敷きて、史は冠(かむり)をし、襪(したうづ)をはきて、裸になりて車の内に居たり。 さて二條より西様(にしざま)にやらせて行くに、美福門(びふくもん)のほどを過ぐる間に、盗人、傍らよりはらはらと出で来ぬ。車の轅(ながえ)につきて、牛飼ひ童(わら...
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E7%B7%8F%E5%90%88/%E4%BB%8A%E6%98%94%E7%89%A9%E8%AA%9E
作者の兼好法師は、鎌倉時代の人物。 本名は、卜部兼良(うらべ かねよし)。 はじめは、卜部家が代々、朝廷に神職として仕えていたので、兼好法師も後二条天皇に仕えていたが、のちに兼好法師は出家した。 京都の「吉田」という場所に住んでいたので、吉田兼好(よしだけんこう)ともいう。 花や月は、花の咲いている頃や、夜空に曇りの無い月など、その時期が見所とされている。それ自体は、当然な感想であり、べつに悪くは無いけれど、いっぽうの咲いてない花や曇りや雨の夜空にも、また、見所がある。しかし、情趣を解しない人は、咲いている花だけしか楽しもうとしないようだ。 花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れ込めて春の行方知...
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E7%B7%8F%E5%90%88/%E5%BE%92%E7%84%B6%E8%8D%89
本記事では、高校教育の重要度の順に、「木曾の最後」を先に記述している。 原著での掲載順は 祇園精舎 → 富士川 → 木曾の最後 。 平家物語の作者は不明だが、琵琶法師などによって語りつがれた。 作中で出てくる平清盛(たいらのきよもり)も、源義経(みなもとのよしつね)も、実在した人物。作中で書かれる「壇ノ浦の戦い」(だんのうらのたたかい)などの合戦(かっせん)も、実際の歴史上の出来事。 作者は不明。 平家(へいけ)という武士(ぶし)の日本を支配(しはい)した一族が、源氏(げんじ)という新たに勢力の強まった新興の武士に、ほろぼされる歴史という実際の出来事をもとにした、物語。 平安時代から鎌倉時代に時代が変わるときの、源氏(げんじ)と平氏...
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E7%B7%8F%E5%90%88/%E5%B9%B3%E5%AE%B6%E7%89%A9%E8%AA%9E
山形領に立石寺といふ山寺あり。慈覚大師(じかくだいし)の開基(かいき)にして、ことに清閑(せいかん)の地なり。一見すべきよし、人々の勧むるによつて、尾花沢(をばなざわ)よりとつて返し、その間(あひ)七里ばかりなり。日いまだ暮れず。ふもとの坊に宿借りおきて、山上の堂に登る。岩に巌(いわほ)を重ねて山とし、松柏(しようはく)年旧り(ふり)、土石老いて苔(こけ)なめらかに、岩上の院々扉を閉ぢて、物の音聞こえず。岸を巡り岩をはひて、仏閣を拝し、佳景寂寞(じゃくまく)として心澄みゆくのみおぼゆ(覚ゆ)。 閑かさ(しづかささ)や岩にしみ入る蝉の声 山形領に立石寺という山寺がある。慈覚大師(じかくだいし)が開かれた寺であり、とりわけ清らかで静かな...
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E7%B7%8F%E5%90%88/%E5%A5%A5%E3%81%AE%E7%B4%B0%E9%81%93
中宮定子(ちゅうぐうていし)は、清少納言(せいしょうなごん)の知識を試そうとして、雪の日に、白居易(はくきょい)の詩を引用して、「香炉峰(かうろほう)の雪は、どうなってるか。」と問いかけた。清少納言は白居易の詩句のとおりに、簾(すだれ)を高く巻き上げて、中宮を満足させた。 中宮定子は、女性。藤原 定子(ふじわら の ていし)。清少納言は、中宮定子に仕えていた。 雪のいと高う降りたるを例ならず御格子(みかうし)まゐりて(参りて)、炭櫃(すびつ)に火おこして、物語などして集まりさぶらうに、「少納言よ、香炉峰(かうろほう)の雪いかならむ。」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾(みす)を高く上げたれば、笑はせたまふ。人々も「さることは知り...
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E7%B7%8F%E5%90%88/%E6%9E%95%E8%8D%89%E5%AD%90
今は昔、阿蘇のなにがしといふ史(さくわん)ありけり。たけ短(ひき)なりけれども、魂はいみじき盗人にてぞありける。家は西の京にありければ、公事(くじ)ありて内(うち)に参りて、夜ふけて家に帰りけるに、東(ひむがし)の中の御門(mかど)より出でて車に乗りて、大宮下り(おほみやくだり)にやらせて行きけるに、着たる装束(さうぞく)を皆解きて、片端より皆たたみて、車の畳の下にうるはしく置きて、その上に畳を敷きて、史は冠(かむり)をし、襪(したうづ)をはきて、裸になりて車の内に居たり。 さて二條より西様(にしざま)にやらせて行くに、美福門(びふくもん)のほどを過ぐる間に、盗人、傍らよりはらはらと出で来ぬ。車の轅(ながえ)につきて、牛飼ひ童(わら...
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作者の兼好法師は、鎌倉時代の人物。 本名は、卜部兼良(うらべ かねよし)。 はじめは、卜部家が代々、朝廷に神職として仕えていたので、兼好法師も後二条天皇に仕えていたが、のちに兼好法師は出家した。 京都の「吉田」という場所に住んでいたので、吉田兼好(よしだけんこう)ともいう。 花や月は、花の咲いている頃や、夜空に曇りの無い月など、その時期が見所とされている。それ自体は、当然な感想であり、べつに悪くは無いけれど、いっぽうの咲いてない花や曇りや雨の夜空にも、また、見所がある。しかし、情趣を解しない人は、咲いている花だけしか楽しもうとしないようだ。 花は盛りに、月は隈(くま)なきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れ込めて春の行方知...
https://ja.wikibooks.org/wiki/%E9%AB%98%E7%AD%89%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E5%9B%BD%E8%AA%9E%E7%B7%8F%E5%90%88/%E5%BE%92%E7%84%B6%E8%8D%89
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概要

ウィキブック高校範囲よりダンプ、スクレイピング。 jsonlファイルで記述。ライセンスはウィキメディア財団に準じます。

謝辞

教科書を作成、編集しているウィキペディアンの皆様に感謝を申し上げます。

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